LANDING PAGE

ClassiCon(クラシコン) Adjustable Table(アジャスタブルテーブル)

世には数多くのファニチャーブランドがあり、そして彼らは自身のブランドの名前と自信を託した数多くの家具を打ち出しています。

今回はそのブランドと家具のなかから、ClassiCon(クラシコン)と、彼らが打ち出す「アジャスタブルテーブル」について取り上げていきます。

ドイツ生まれの「ClassiCon(クラシコン)」は、
古典的感覚と現代的感覚を掛け合わせたブランド

ClassiCon(クラシコン)は、1990年にドイツで生まれたファニチャーブランドです。
数多くの語るべき歴史を持つミュンヘンで生まれたこのブランドでの名前は、“classic(クラシック。古典)”と“contemporary(コンテンポラリー。当世風)から来ています。
非常にユニークで個性的な名前を持つClassiCon(クラシコン)ですが、これはそのまま、クラシコンの作り出す家具の特徴を表しています。
現代人の感覚によくマッチする新しさを持ちながらも、そのすべての家具はどこかで古典由来の「なつかしさ」を持ちます。
モダンでありながらモダンさにだけに舵を切ることはなく、レトロでありながらもレトロさだけに固執しておらず、バランス感覚の良いデザインに仕上がっているのがクラシコンの家具の特徴です。

ClassiCon(クラシコン)の名前を不動のものとしたのは、建築家”Eileen Gray(アイリーン・グレイ。以下、特筆すべき事情がない限りはカタカナ表記)です。
1878年に生まれた彼女は、今よりもずっと女性への風当たりが強かった時代に、彼女自身の才覚によって多数のデザインを打ち出していきます。そしてそのデザインは、多くの人に熱烈に支持されることとなります。
彼女の作り出したデザインを基本として作り上げられたクラシコンの家具は、やがてクラシコン自体のイメージを決定づけるものにすらなりました。
こんにち、私たちが「ClassiCon(クラシコン)の作品」として思い浮かべるものの多くは、このアイリーン・グレイの作品だといえるでしょう(なお、アイリーン・グレイに関しては詳しくは後述します)。

ClassiCon(クラシコン)はアイリーン・グレイなくしては語ることのできないファニチャーブランドですが、同時に、勢いのある新しいデザイナーたちとのコラボレーションでも知られています。
たとえば、まだ41歳という非常に若いセバスチャン・ヘルクナーの打ち出したテーブルは繊細さと存在感、優美さで人気を誇っています。
カルロス・ギハーロとアレックス・ギハーロの2人によって創られた「オルテガギハーロ」によって生み出されたサイドテーブルは、大きさの異なるパネルを組み合わせて作られた家具です。
ここで出したのはほんの一例ですが、ClassiCon(クラシコン)は、「デザイナーが持つ現代的な感覚と、古典への回帰を存分に反映させた個性派の家具を打ち出しているブランドである」といえるでしょう。デザイナーごとにまったく異なる顔を見せる家具をラインアップに乗せているClassiCon(クラシコン)のカタログは、色とりどりの絵画が飾られた美術館のようです。

ADJUSTABLE TABLE(アジャスタブルテーブル)は、「20世紀を映し出すデザイン」と評される

このような特徴を持つClassiCon(クラシコン)のカタログのなかから、“ADJUSTABLE TABLE E1027(アジャスタブルテーブル)”です。

※なお、「ADJUSTABLE TABLE(アジャスタブルテーブル)」という言葉はクラシコンの商品にだけ使われるわけではありませんが、ここでは特段の指定をしない限りは「ClassiCon(クラシコン)のADJUSTABLE TABLE(アジャスタブルテーブル)」という意味で使用します。

ADJUSTABLE TABLE(アジャスタブルテーブル)は、上でも取り上げた稀代の女性建築家であるアイリーン・グレイによってデザインされたものです。
アイリーン・グレイは数多くの家具のデザインを手掛けてきましたが、ADJUSTABLE TABLE(アジャスタブルテーブル)はそのような多くの家具のなかでも、もっとも象徴的な家具のうちのひとつだといえます。

アイリーン・グレイが駆け抜けようとした20世紀という時代において、ADJUSTABLE TABLE(アジャスタブルテーブル)は「この時代を映し出すデザイン」「20世紀という時代の象徴的な家具」と評されました。
19世紀に生まれた一人のデザイナーが打ち出したテーブルが、時代そのものを表す家具と評されたのです。

このような高い評価を得ているADJUSTABLE TABLE(アジャスタブルテーブル)は、円形のテーブル面と、そのテーブル面を貫く長方形のフレーム、そしてその長方形のフレームとともにテーブル面を支える“C”の形の脚によって作られています。

非常にユニークな形を持っているこのテーブルは、テーブル面の高さを自分で調整できるようになっています。調節段階は非常に細かく、11段階も設けられていて、都度使いやすい高さに変えることができます。

柔らかい円と、直線的な長方形のフレームを持つADJUSTABLE TABLE(アジャスタブルテーブル)は、非常に面白く、個性的です。しかしその「個性」は決して暴走することはなく、均整の取れた印象にまとまっています。
このためどのようなシチュエーション・どのような部屋であっても自然に調和してくれます。

かつてアイリーン・グレイは、南フランスはロクブリュンヌ・カップ・マルタンに海近くに「E1027」という住居を持ちました。
彼女の恋人であったジャン・パドヴィッチと時間を共にするために作られたこの住宅は、彼女自身がデザインしたものです。
アイリーン・グレイはこの家に、客人であったル・コルビュジェ(ル・コルビュジエとも。建築家の一人であり、カッシーナなどのファニチャーブランドと提携した)などを招いて過ごしたといいます。
そしてこのE1027に、“ADJUSTABLE TABLE E1027”は入れられました。
過ごしやすく、美しく、愛する人とともに過ごすための邸宅であったアイリーン・グレイの家E1027を、ADJUSTABLE TABLE(アジャスタブルテーブル)も彩ったのです。
E1027で過ごし始めたわずか2年後にアイリーン・グレイはほかの恋人を持ち、この家を去ることとなりましたが、彼女が残したアジャスタブルテーブルは今なお多くの人を引き付け、20世紀を代表するデザインとしてデザイン史上に燦然と輝き続けることとなったのです。

デザイナー、アイリーン・グレイ
~自分の足で立ち、自分の腕で生きた女性

アイリーン・グレイは、1876年にアイルランドで生を受けた女性です。彼女は1976年に98歳で没するまで、そして没してからなお、多くの人に影響を与えるデザイナーとして君臨し続けました。
彼女はアール・デコの時代に生きた女性ですが、そこにモダニズムを掛け合わせる技術を持ったデザイナーでした。
クラシコンは「古典と当世風の融合」が特徴となるファニチャーブランドですが、アイリーン・グレイもただしくその価値観を持って仕事を続けた女性だといえるでしょう。

アイリーン・グレイの作り出す家具は、「暮らす人が快適であるための家」を支えるための道具でもありました。
機能性の高さを愛し、それに裏打ちされた家具を数多く打ち出していきます。彼女の打ち出す家具は、2020年代に生きるデザイナーにも多くの影響を与えたとされています。

アイリーン・グレイについて知ろうとするとき、人はしばしばアイリーン・グレイの生き方そのものを賞賛する声を耳にすることでしょう。

1800年代、当時は女性に対する制約や制限が今よりもずっと強かったといえます。また女性自身も、そのような制約や制限を不自然なものだと感じない人が多かったことでしょう。

この時代においては、女性がデザイナーとして活躍するためにはほかの男性の力を借りるやり方が一般的でした。

しかし彼女は、このようなやり方を良しとしませんでした。
40代半ばで自分のデザイン事務所を立ち上げ、そしてそこで活躍し続けました。世界の流行の中心であるパリで、彼女は、自分の足で立ち、自分の腕で生き抜いたのです。

その豊かな才能は、同時代に生き、すでに名声を獲得していたル・コルビュジェにも嫉妬心を抱かせたとさえ言われています。

彼女の才能を示すものとして、「ドラゴン・チェア」があります。

これはアイリーン・グレイがデザインを手がけた椅子で、史上最高額がつけられた椅子でもあります。

2009年に開催された「イヴ・サンローラン&ピエール・ベルジェ・コレクション 世紀のコレクション」において出されたもので、1950万ドル(当時の日本円で28億円ほど)で落札されたという経緯を持つものです。

もちろん「価格」だけが家具の価値を決めるわけではありません。
しかし亡くなってから80年経ってもなお、このような価格をつけるほどの強烈な愛好家がいることは、アイリーン・グレイというデザイナーの偉大さを示す一つのエピソードとはなるでしょう。